会社案内

代表挨拶


 普段私たちは、蛇口をひねれば水が出るのは、スイッチを押せば照明が点灯するのと同様に当り前のように生活しています。しかしひとたび大地震や災害等が発生した時に、一番困るものは、ライフラインの供給停止です。水道も電気・ガスとともに1日も早い復旧が求められます。水は人が生きていく上でとても貴重な役割を持っています。その水に携わる仕事をしているのが弊社です。

 1995年1月の阪神・淡路大震災、2007年7月の新潟県中越沖地震、2011年3月の東日本大震災・大津波災害、そして2024年1月能登半島地震では石川県輪島市へ復旧工事に出動しました。また、弊社が施工する工事のひとつである道路に埋設する水道本管(配水管)は、今では耐震管への布設替えが進み、大地震が到来しても、全面的に水道の供給が止まることがないように整備しています。

 また、感染症の流行や温暖化による猛暑を生き抜く現代においては、空気調和は生活に欠かせません。学校体育館空調の新設や、老朽化した施設の機器・ダクト改修などの工事にも携わっております。

 このように弊社は1923年(大正12年)4月に創業、1937年(昭和12年)3月に設立してから、この地・浦和にて半世紀を超えて、給排水衛生工事・空気調和設備工事を中心とした事業を通じて、社会貢献をして参りました。
 これからもお客様や社会から信頼され続ける会社を目指し、地域社会の発展を支え続けていく所存です。

株式会社 泉屋工務店
代表取締役 小林宏也

会社概要

社名 株式会社 泉屋工務店
所在地 〒336-0031
埼玉県さいたま市南区鹿手袋三丁目4番10号
電話番号 048-864-1171(代表)
FAX 048-866-4825
創業 1923年(大正12年)4月 
資本金 4500万円
従業員数 14名
建設業許可 埼玉県知事 第056745号
特定建設業 管工事業・土木工事業・水道施設工事業
一般建設業 消防施設工事業
指定工事店 さいたま市水道局指定 第1号
さいたま市排水設備工事店指定 第22号
取引銀行 みずほ銀行 浦和支店
武蔵野銀行 北浦和支店
埼玉りそな銀行 浦和中央支店
沿革 1923年(大正12年)4月  創業  創業者 今泉 幸太郎
1951年(昭和26年)8月  建設業登録  代表者 今泉 康次
1959年(昭和34年)7月  有限会社として法人化
1968年(昭和43年)5月  株式会社に組織変更 
主な取引先 埼玉県 さいたま市 さいたま市水道局 埼玉県警察共済 関東整備局 戸田市 埼玉県住宅供給公社 埼玉県下水道公社 坂戸鶴ヶ島水道企業団 埼玉大学
㈱ユーディケー ㈱山武 ㈱ロッテ ㈱戸田建設

ISO

ISO 9001は、製品やサービスの品質保証を通じて組織の顧客や市場のニーズに応えるために活用できる品質マネジメントシステムの国際規格です。

品質方針

事業の継続発展のため、技術力の向上を常に目指し、
一人ひとりがコスト意識をもち
顧客からの永年得てきた信用力を増していく
登録者名 株式会社 泉屋工務店
登録場所 〒336-0031
埼玉県さいたま市南区鹿手袋三丁目4番10号
登録年月日 2002年3月25日 取得
審査機関 株式会社 ISO審査登録機構
製品・サービスの範囲 1.建築物に関連する空調、給排水、衛生設備並びに給水本管工事の設計及び施工
2.公共建物の給水施設の点検業務、修理

認証取得するにあたり当社としての品質方針を決める会議を部課長で開催しました。当社にマッチしてふさわしい内容をいろいろ検討しました。 ここに、今後も継続して当社の礎となる内容に決定いたしました。 役職員一同共通の規範として受け継がれていく普遍的な方針です。そしてこの方針を個々の工事に反映させていきます。


当社のあゆみ

もともと泉屋の屋号で大正時代に始めた最初の商売は、小規模の土木、建築業でした。また、「どうこ(銅壷)屋」とも呼ばれていました。「どうこ」とは火鉢の中に置き、湯を沸かして、燗酒をつくる民具です。銅板を加工してハンダ付けで製品も作っていました。

1977年(昭和52年)まで店舗は、浦和駅西口近くの仲一(仲町1丁目)商店街、通称「裏門通り」沿いにありました。
建築関連の仕事でしたから名前に「工務店」が入っています。現在でも社名は変わっていないので、建築会社と間違えられてしまうこともときどきあります。

さいたま市水道局の前身「埼玉県南水道企業団」は、昭和9年に「埼玉県南水道組合」として発足しました。
当社の創業者である今泉幸太郎は、前述の埼玉県南水道組合が、昭和12年3月1日に「自己流末装置施工者」として民間業者に請け負わせる旨の告示にともない、資格承認を受けました。

民間に門戸を開くまで、水道工事は役所にしかできませんでした。
当時、承認を受けたのはほとんどが東京業者だったようで、地元業者ではさきがけでした。

戦前は井戸が自宅にあったため、おいしい井戸水がただで飲めるのに、わざわざお金を払って水を買うことには抵抗感があり、なかなか普及しなかったようです。昭和20年代後半になり水道が普及し始めて、わが社では、水道工事を商売の柱としました。

水道工事店として初期に開始した会社が20社ほどありましたが、今では、1/3しか存続していません。さいたま市内では、昔からの水道屋さんのひとつです。

現在は、水道に関連する給排水給湯の工事、道路に埋設されている水道本管(配水管)工事、また空気調和設備、換気設備工事等の工事をさいたま市内と埼玉県南部エリアを中心に工事を行っています。

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